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いまの時代男女平等が叫ばれているし、ハラスメントのために女が社会的に抑圧されているというのもわかるけれど
表現において女は女であることからなかなか逃れられないなと感じる、ま、当たり前か?
男は男であることから逃れられないなんておもうのかな?
女であることをきわめてうまく使う頭の良い女性もいるけれど基本的にかなり少ない
頭のいい女性はほんとーに女神のようだと思う
女性は賢くあるべきだと思う
なんでこんなことかいたんだろ
アレキシサイミアについて考えてた
わたしは好きになる人にこの傾向がある
湖について、井戸について、野原、花畑、
そんなものたちと心の話をからめた物語がないかなと思う
そういうものを読みたいしかいてみたいと思って、最初の話があたまにうかんだんだな
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田んぼと深い青の夜空とちいさな星
それをひとりぼっちで眺めてる時がいちばんわたしがわたしだと思う
人間は嫌いだ
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強くなりたいと10年くらいずっと思っている
ひとりで立っていられるように
ひとにたよるのは難しいけれど
ひとにまったくたよらないでいることはあんまりよくない
自立したこころは だれかにすこしだけ寄りかかっていてもつくることができる(のだとおもう)
そうすると、寄りかかるよろこびや誰かが荷物をいっしょに持ってくれたよろこびが何倍にもなるんだとおもう
わたしたちは通り過ぎていくけれどそれだけではいみがない
大切なひとを大切にしたい
妄想は現実とはちがう
自分の直感がなかなかさえているというおもいこみ。これは正しいというおごり。
目の前のひとを、ただそのままに受け止めて、目の前のひとがくれるものを、ただそのままに大切にする。
「その先」とか「前」とか考えないで、「いまここ」で何をしてくれているのか?どうしたいのか?をちゃんとみたい。
わたしは妄想を見るためにいるんじゃなくて、自分のこの目で、この体で、目の前に立っている誰かを感じるために存在しているんだ。
君の心は君だけのものだって友達がいってくれた。
現状はなにも変化していないのに、なぜそれだけのことで、こんなに元気になれるんだろう。
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人生で一番楽しかったのは、自己憐憫にひたり、人とか自分を憎んで殺したいと思うことだったんだと思う
今日はそれをしたくて泣き叫んでみた、しかし自分がなにかをしなければどうにもならないという事実しか存在していなくて内心でむなしかった
期待しないこと、線引きすること、突き放して眺めること、それが信じることにもつながるのだと思う
泣いたのは、相手に愛がないと感じて傷ついたと感じたせいもある
しかし他人の行動に愛があるかないか、誠実か否かをはかったところでそんなものは何の役にも立たない
自分にできることは、自分なりの誠実さと愛情を態度で示すことであり、毅然とすることであり、それが失敗したから結果相手とのことに傷ついたに過ぎない
すべてわたしのせいなんだ、わたしがなにを思うのかはわたしのせいできまるのだから
人生にはなにも期待してはならない
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出さない手紙を書こう