本当は、白いレースのついたワンピースだけを着て、生きていきたい。それこそ耽美主義の作家みたいに、美を至高のものとして愛して生きていきたい。
プロフに使っている画像の人、すごく綺麗で好き。持ってる中で一番好きな画像かもしれない。あと好きなのは、裸の美少女のやつと、バラを背景にはにかんでいるあんまり可愛くない女の子の写真。それから若い頃のルキノ・ヴィスコンティが冷たい顔してる写真。色々あるな。この前買った夜想の少女特集のやつに載っていた拒食症の少女の身体も飾りたいと思った。
綺麗なものを見ると、金色の蜂蜜のようなもののなかに溺れているような、恍惚とした気分になって色々なことを忘れることが出来る。でもそういう生活を許されてる人って、ごく一部なんだよねきっと。少なくとも僕は、自分にその価値を認めてない。美しさのなかへの忘却を願いながら、決してそこにはたどり着けないような、決して溺れきることの出来ないような気持ちになる。
たとえば、真昼の海水浴場で汚い海に浮かび、鼓膜の傍で水がはじける音を聴きながら、はてしない静謐が心の底に広がるのを感じたとしても、やはり私たちは海からあがらなければならない、そういうことと似ている。海からあがってしまえば、そこはありふれた汚い海水浴場で、体にはりついた不愉快な砂や疲労は、帰路、蒸し暑い車に乗っているあいだじゅう、私たちを煩わせるのである。
こうやってこ汚い街を踏みしめながら歩く僕は、美しいものたちに決して触れない気がするし、美しさのなかに耽溺しかけても、やはりその足でまた平然と砂浜を踏みしめ歩き出さなければならないのだ。僕の好きなものはみんな眩しすぎる。それが僕を余計興奮させるんだけど。