抱き締めても抱き締めても零れ落ちていく 指の間から砂のようにさらさらと落ちていくよ テレビのなかの砂漠で斜陽に祈っていたあの人のあの横顔の美しさも 田んぼの真ん中で死臭を放っていた犬の見開いた目も 流れ星も 人込みも、喧騒も。

拭いきれないくらやみがあって、私は畏れ戦慄きます。それはただの言い訳なのかもしんない。でもたしかな切実さで

弱いと言われること程、悔しいことはなくて、不正直だなんていわれたら、泣いてしまう。私はどうやって生きてゆけるだろうか。怖くて仕方ない。ペシミスティックで、プライドが高くて、こういうところを大人になったら好きになれるのかあるいはなおせるのか、あるいは気付かないで肥大しちゃうのか。

後戻りできない過去の集成として僕が存在している。僕は過去の残滓を拭き掃除の如く拭いながら今を後ずさりで前進しているのだと思う。それは無益なことだ。くらやみに背中を向けているからこそこの畏れは濃い。それだけのことなのかもしれない。

僕にとって大切なことは他人からしたらくだらないのかも。あるいは、大袈裟で笑ってしまうことなのかもしれない。強くなりたい。淋しいけれど一人でいたいんだ。だって人ってなんか怖いよね。いろんな可能性を秘めているから、木とは違う類の可能性を秘めているから。

本当にこの先ちゃんとして生きていけるのか自信が無いや。何にも上手く出来ないよ。もうやだ、とか、どうせだめだ、が口癖んなって、僕は前を向いて進めない。お母さんが死んだらどうしようってそればっかり考えたらぽろぽろ涙が出てきて秋雨みたいなさらさらだらだらした涙だった。母さんが死んだら立っていられないよ。
でも孤独をおぼえればおぼえるほど、その孤独は僕のまわりにいる人を否定することになる。そんなことは決してしたくないのに、死ぬことなんかを考えると一人ぼっちの気になってしまうね。こんなこと考えるのをやめればいいのに。どうして考えてしまうの?
足んとこで猫が寝ている。名前は協議の結果ノエにしたよ。
幸せに生きてほしいから大切に育てるよ。もちろんげんたともたくさん遊んであげたい。

悲しいのは秋だからだと思う。悲しいのは悲しいと思うことが趣味だからなんじゃない? 美しさも強さも脆さも無い。ぬるく濁った水のなかにたゆたいながらゆっくりと重力にしたがってくらやみへと落ち込んでゆく海綿のきれはしのような存在。深海のスノーフォールは美しいだろうから恐らく海綿のほうがきれい。

「存在の耐えられない軽さ」、あれ冒頭好きなんだ。でクンデラさんもさあ、見たら移民だけどフランスなんだね。フランスぜってーなんかあるよ。いつか行きたい。

全世界から糾弾されるほど僕はだいそれた人物ではないから、僕を糾弾するのは僕一人っきりで、それに答えようとしないのも僕だけだ。桜の花弁みたいに、深海のスノーフォールの一片のように、あるいはこの部屋に浮かぶちりのように、僕の存在は軽く、また取るに足りない。ただ、誰かの眼差しがあるから、僕は僕の質量でなんとかやってけるんだ。けど、それ以外に錘になるものを何にも持ち得てないから、僕は時々戦慄する。僕は生きているのに。悲しくてしかたない。いろいろなことを許せないでいるよ コップにはりつめた一杯の水のようだ