狼になりたい

まきしまむがまた大量に追加されとる。スピッツも狂ったように追加されとる。初恋クレイジーて、お前がスピッツに狂ってんじゃねえのとか云々。マサムネさんが変態なのはみとめるが、僕はスピッツ狂ってほどではないんだ。らすとえふえむ。どうでもいい。大学の合格者を貼り出している掲示板見てきた。くそったれな気分だった。みんなクソだとロックかぶれの中学生みたいなことを言ってのたうちまわりたいようだった。そんなことをいいながら私は本命でない無難な大学の合格者の掲示をわざわざ見に行きぞんぶんに表参道を歩き回りまい泉のとんかつを喰らい後地下鉄に乗って合羽橋や入谷あたりに辿り着くと食品サンプルをにやにや眺めてしゃれた喫茶店で談笑などをしている。死ね。或は、どこかに埋まってしまえ。埋めるぞ。
強い人間にならなければならないとずっと思っているのに届かない。いったい他人のことを大切に出来るくらい強い人間になれるのだろうか。自分のことでせいいっぱいで、渋谷の人ごみの中を歩いているときと似た視野の狭さと敵意でもって人と接し、生きているような、そんな気がしないでもない。それは自分の弱さを際立たせるので、悔しくて電話口で咆哮を上げたりなどした。「強い人間にならなければならない」「悔しい」「私は存在しないほうがいい」「毒にも薬にもならない小説を読むと頭にくる」などと、反吐の出るような甘えと思いあがりとを号泣しながら口走っており、そんなどうしようもない口腔の裏側にある脳みそでは「いまなんでそんなこと言ったんだろうなァ」と考えていた。そんなもんで、白熱の裏側がひんやりとしていて、僕はいたって普通なわけよ。悪文が読みたくなったので金井美恵子の小説買って帰った。
中島みゆきの「狼になりたい」という曲が好きさ。あと 「私という猫」、という漫画がとてもよかったなあ。
 
絶対に会いたくない。胃が痛んでくる。鷹揚で風と子供に似た電話口の男とことばを交わす度私という存在がどれだけクソかを思い知らされるので私は彼と話すと大抵苛立ち退屈し緘黙になり果てに幼稚な感情を爆発させて自分や相手やその他のものを罵りながら大泣きに泣くことになる。好きとか嫌いとかではなく「絶対にもう二度と顔を合わせたくない」という類の、私としては生まれてから一度もであったことのない人種であるところの彼。……と書いていて思ったが、自分は、恐らく彼が羨ましいのだろう。嫉妬深くて劣等感にまみれた私は、彼を糾弾したり自分をことごとく貶めたりすることでその嫉妬の感情をどうにかしようとしているのだ。さいわい明日の夜は夕飯をほかの人と食べる。僕は人に会いたくなんかない。詩は読まない。
 
うるせー。戦意喪失してんじゃねーよ。誇大妄想で夢いっぱいで自信過剰な自分が許せないようなやつらは大抵自己愛の塊なんだもん手に負えないよ僕含め。しょうがないじゃん恥さらしながら生きてくしかないじゃん。生きている人も死んだ人も冒涜しないような生き方は死ぬまで生きることの中にしかないのではないのか。死ぬまで生きたというあかしはどういうかたちであれ自分が死ぬまで得られないけれど、生きるってそんなふうにものすごく冷酷なマラソンを走っているようなことだって気がするんだよ。少なくとも今の自分にとって。でもそんなかできれいな景色とかうれしい出会いとかあったらそれはそれでいいじゃん楽しいじゃんラッキーじゃんテイクイットイージー。だからあてくしは死ぬまで生きることにした。ああ強い人間になりたい強い人間になりたい強くて強い狼になりたい。僕は若いなぁ。