あるエッセイギャグ漫画で、女の人が男の人とわかれる! と思って、思い出のカレーを家におきざりにしてとびだしてゆきます。とびだして、でも行くあてもないし、あんまり本気でもなかったりして、同僚に相談しにゆきます。その同僚が言った言葉は、「ちゃんともめろ」。
我慢をするなら、自殺をするまで我慢しないと、美徳にならないよな、と思います。そうでない人は、やさしくないし、そのやさしくなさに自覚的だったとしても、やさしい人間ではないと思います。
 
「仲の良い友人の九割はいなくてもよい」。これはクレーの日記に書いてあるんですけど、まったくそのとおりだと思いませんか。
誰かが嫌な思いをしないように生きることは、大切なことです。本音をかくすことは、大事なことです。おまえくさい、おまえあたまわりいな、おまえのそういう言動や行動がいらつく、そういうことを直接いってばかりでは、つかれます。
でも、これからもずっと仲良くしたい、そう思う人がいるのだとしたら、衝突は避けないほうがいいと思う。
私は殆どの人にこう言われた経験がないし、こういった経験がないから、やっぱり本当にそばにいてほしい人って、一人か二人くらいだと思う。そしたら、それまでで、ひとりぼっちで生きていくべきで、孤独に耐えるべきなのだと思う。ひとさまに迷惑をかけたくないからね。
ひとさまに迷惑をかけたくないから、といって、自分を抑え込むというのは、本当にずるいことで、自分を傷つけることは、ずるい。 でも、そのずるさは、自分できっとわかる。言葉に出来なくても、胸が苦しいときや、かなしいときは、タブンずるいこと、してるんだと思う。
 
人間って利己的で、その利己的なのをぶつけても、なお傍にいたいと思えるような、耐えがたい淋しさや、耐えがたい悲しみに出会ったとき、決して逃げないほうがいいと思うのです。そういう苦しみや悲しみを信じられないということは、とても苦しいことで、自分を信じられないということは、自分の生きたいようにしたいように生きることが出来ないということなのではないでしょうか。 私は、少しでも仲のいいひとには、そうなってほしくないです。べつに、そのひとがいなくたって、私は生きていくけど、でも、仲のいいひとが自分の感情を信じられないようになっていたら、私は嫌だし、いらつく。なに一人で勝手に死んで、被害者づらしてんだよ。失礼だが、そう思う。私に対して怒りや悲しみといった感情を抑え込むことは、私のことを、友達とみてないというのも同然だ。

私はうまれたからには死ぬほど楽しく生きていたいです。毎日がたのしみで、あしたがたのしみで、昨日をたのしかったと言いたい。あたりまえのことです。わかってはいるけれど、私はそれをそもそも実現不可能であると考えていました。いまは違いますが。でも、基本的に、現実を変えようという気概が出るまでは不可能だと思います。
それはひどく甘えたことだったと思いますが、私は弱く、何も信じられなかった卑劣なやからだったので、仕方なかったとも思います。
 
じぶんを信じない弱さは是正されなければ、自分自身を自殺に追い込むことになります。死にたいといいながら、幸せに生きたい人は、とても多いと思います。私は誰も悪くないと思います。苦しみをつきつめられる優しい人間は、肉体的、あるいは精神的に自殺している、というだけの話です。
 
だって、死んだ方がマシなくらいひどい人間に自分がなりさがっているということを、言葉にするにしろしないにしろ、よくわかってる人って多いじゃないですか。結局淋しさとかつらさとか孤独とかにつながるわけで、言葉にしえない痛みが、つねに心臓を鷲づかみにしているんだから。
でね、もしも私がその人の友人だったら、友人が自殺するのはごめんなんですよ、めいわくなんですよ。つらいんですよ。ほんとやめてほしいんですよ。誰かが死ぬってことは、自分が殺してるかもしれないってことじゃないですか。人間が自殺するってことは、誰かが殺してるってことじゃないですか。
 
ほんと、死んだ方がましな人間って、いっぱいいますよね。
なのに生きなきゃいけない。それはあたりまえで、楽しく生きることが人間の本能で、その本能に逆らいながら生きているからです。私はそれ自殺と呼んでいいと思ってます。迷惑ですね。心で自殺してる人、多いんじゃないかな。私はそれがとても悲しい、つらいことだと思うんです。だって、みんな悪い人じゃないから。わるい人間じゃない人間が人として最低な行いをしていることが、ままあると思うんです。だからね、あらゆる社会的な規律とかからまったく切り離された、個人的な感情として、お前は一人でなにをやってるんだカス、と憤ってしまうんです。
 
誰も悪くない。だれも絶対わるくない。
だからムカついたらいってほしい。わかりたくなかったらいってほしい、わかりたかったらぶつけてほしい。いらついたらいってほしい。それだけの努力をする強さを持ってほしい。持とうとしてほしい。あきらめるような卑劣なまねをしないでほしい。
 
そう思うし、そう言うのに、ぶつけてくれたひとは一人しかいません。
私はそのひとといま暮らしています。たくさん喧嘩します。泣きますわめきます。いやみもいいます。
でも、ずっと一緒にいたいです。ずっと仲良くしていたいです。だから喧嘩ぐらいなんてことありません。私のプライドをぶっ壊してえぐるようなことを言われても、私はあのこがすきでしかたないです。そして、もう孤独はいやなのです。
 
きっとばらばらに死ぬけど、そのときまではずっと一緒に生きていたいです。いまこの気持ちに正直にいられることは、なによりも幸せなことだと思います。私は負けません。絶対に。