ノートのめも 読書感想文 よつばと!

よつばと! (1) (電撃コミックス)
よつばと一緒に世界を再発見できた
・日常を再発見すること→人間のしてきたこと 
            ふつーの人→日々が少しだけすてきになる
            てんさい→万有引力を発見する
よつばと一緒になってた→さいごにとーちゃんが「よつばは無敵だ」という そこで憑いていたおばけがとれるみたいによつばと読者である自分のなかに明確な境界がすっと引かれた感覚があった
・「ありふれた日常ってイイナア」と思いながらこの漫画を読んでいたわけではない ただひたすらにあたらしく眩しかった。私はこの漫画のなかでありふれた日常生きながら、しかもそれを夢中で貪っていた。とーさんの「無敵だ」を読むまでそのことに気づいていなかったから、その瞬間鳥肌がたった。漫画のなかの日常に読者である自分まで取り込まれていた。それはこの漫画がふつーの漫画じゃないことを証明している。
・とーさんの言葉はおそらく作者の声でもあるだろう そして読者の私が作者の意図を感じたのは全編でその一こまだけだった それが多いのか少ないのかは漫画をあまり読まないのでわからない
・しかしこの漫画のさいごによつばが「無敵」であることを知らされたときの新鮮な驚きは この種の日常漫画をよむさいに心のどこかで考え、そしてひとつの商品として求めてすらいる、かぎかっこつきの「日常のスバラシサ」をとびこえて、さくりと胸に突き刺さってきた。
・あれ、この漫画、なんでこんなに楽しかったんだっけ? 漫画をひらいたままにやけていた口がへの字になる。それはほかでもない、よつばがいたからなのだ。そして彼女はこの漫画の中にだけ居る、無敵のヒーローなのだ。それまで私はよつばと手をつないで、日常をひたすらに疾走していた。だからよつばと繋いでいたこの手が離れることなんて考えもしなかったし、彼女が無敵のヒーローであるなんて思いもよらなかった。でも、とーさんの「よつばは 無敵だ」という一言は、わたしとよつばの距離をぐっと開かせ、よつばという一人のヒーローを生み、私という読者を生んだ。

・よつばを「無敵だ」といわなくたってよかったかもしれない。この漫画は「日常」を描いている「ふつー」の漫画で、しかもそのままでとても楽しい。日常にはこんな素敵なことがいっぱいなのか、こんなにおもしろいもんなのか! …読者がそう思ったところで、わざわざ※これはフィクションです という。これは一見無駄なことのように思える。
でもいちばん大事なのはここなのだ。
ここで、今まで自分の手を引っ張ってきたのはよつばの手であったことに、読者ははじめて気づかされる。ただのほのぼのした日常なのに、どうしてこんなに楽しかったのか? その答えがでる。「それは"よつばと"一緒だったからなんだ」  よつばに突如としてあたえられた虚構性と「無敵」の二文字にこめられたヒーロー性が、この漫画をぎらぎらさせる
・ヒーローとはそういうものだろう。かぎカッコつきのフィクションの中に存在していながら、その眩しさは現実を生きる私たちの心に勇気を、元気をくれる。へこたれそうなとき、無駄なことと知っていながら、「もし彼や彼女がいたら」と考えずにはいられない。
・しかしヒーローとは、へこたれそうなときにしか必要とされていないのだろうか? そんなことはなかった。なかった、と書くのは、私がこの漫画をよんでやっと気づいたからだ。
「怪獣のいない日常」にこそ、ヒーローが必要なのだ。
・つまりよつばと!は私にとってのヒーロー漫画。ウルトラマンが「地球の危機」を救ってくれる無敵のヒーローなら、よつばは「あたりまえの日常」を救ってくれる無敵のヒーローで、この両者の重みは、私にとってはまったく同じなのである。